私がミクロネシア連邦へ行くようになった理由シリーズ④

[ ■ 日々の事 ]

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とうとう第4弾!懐かしい写真が見つかった。その昔、ワタクシ、社会人になったら企業家か政治家になりたかったんですよ。リーダーシップとれる仕事です。なので中高生のときはずっと生徒会(会長とかも歴任)やってました。しかしFSMに行くようになってガラッと変わってしまいましたね。もう興味ナシ。
最初のチューク訪島で泊まった日本人経営のホテル「宝島」。停電もよくあるし、第一チューク諸島にはTV局なんてないんで、1週間の滞在中一度もテレビ見ませんでした。都会人なので案外こんな長い期間見なかったの初めてかもね。そして使ったダイビングショップはトレジャーズと言ってスタッフは変わったけど今もあるお店。実は僕はここのお客さん第一号なんです。
朝起きて海へダイビングしに出て・・・・・・その海が素晴らしかった。どんなに良いかは僕のHPやFBページを見てくれればと思うのでここでは割愛させてもらいます。ただ海の素晴らしさ、とにかくどのダイビングポイント行っても自分たちだけ。他のボートはまずいないという独占状態なのです。静かです。ボートの上も写真の女性イントラガイドと現地人スタッフだけ。あと1名彼女の友人がいたね。他人に気遣う必要もない。
そうそうダイビングから宿に帰り、散歩してると現地人の男に声をかけられなんかどこかに連れて行かれそうになった。言葉は片言の英語に現地語(チュークはチューク語)なので何言ってるか良く分からず仕舞いだった。拉致寸前で帰ってきたけど、危ないことはまずないよとホテルオーナーに言われた。
電気もなく、娯楽もなく、テレビもなく、あれもなく、これもなく、スーパーは賞味期限切れとドロドロアイス・・・なんか笑いとマンガの世界だなと思ったけどそれでも人は暮らしていけるのだ。ホテルオーナーに聞いた笑える話しその1。「米軍が来て自生しているマリファナを刈って空港の滑走路で焼いたら現地人みな風下に行ってた」とか。まだまだある笑える話し。
約1週間の滞在で東京へ帰ってきたんだけど・・・これは大袈裟ではなく真面目な話し。まったく脚色してない話し。正直言って帰国後、新宿とか歩けなかった。前から斜めから横から後ろから人は来る。ぶつかりそうな位に。東京にはブラブラしている人は一人もいなく、みな秒刻みで動いている。TVは情報の垂れ流し。そして決めたのだ。またミクロネシア連邦へ、チュークへ行こうとね。ポンペイやコスラエの話しもあるのでまだまだ続く。

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